新ちゃん!!のきまぐれ

オッサンが日々のきまぐれを綴ります

西国三十三箇所巡礼

西国三十番札所 巌金山 宝厳寺

連休四日目、暫く中断してた西国三十三箇所巡礼へ出かけました。竹生島へ向かうために今津港へ、途中で和邇にある妹子の郷へ寄ってみましたが・・・ 朝早いせいかもしれませんが、LAWSON以外にどこも開いてません・・・ 渋滞も無く今津港へ到着したのは、出発してから2時間強。第一便の9:40に間に合いましたが、既に20人ほどが乗船待ち。往復のチケットを割引価格でGetして、桟橋から乗船します。

いんたーらーけん号①

実は琵琶湖で船に乗るのはお初、竹生島までは30分ほどの船旅です。

船窓より③

周囲2キロほどの竹生島が見えてきました。船内のアナウンスでは、下船後まっすぐに進んで165段の階段を上って本堂へ・・・ いきなり階段っすか

桟橋から望む

確かに急な階段が続いてるように見えます・・・ 

宝厳寺

最初の鳥居をくぐる前にパチリ、すでに前方には急な階段が見えてるんですね・・・

参道

祈りの階段を一気に駆け上がって本堂へ。

本堂③

お参り前に相方は御朱印をいただきに並んでます、いやいや先にお参りでしょ・・・ 

手水舎

手水舎で清めてから、本堂をお参りしました。

本堂④

こちらのご本尊は弁財天、観音堂には千手観音がお祀りされています。

観世音泰安殿②

本堂を後にして境内を散策、祈りの階段から右側には観世音泰安殿と

天狗堂

その向かい側には天狗堂。一旦戻って階段を上ってみましょう。石垣下から望む三重の塔。

三重の塔①

階段を上って近くまで行ってみますと、引いて撮影するにはギリなスペースしか無いやん・・・

三重の塔④

鮮やかな朱が厳かなイメージを醸し出してますね。ホンマこの位置がギリギリなんすわ。

祈りの階段

因みに、登ってきた祈りの階段って、こんな急なんすよ

『月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 船に宝を 積むここちして』

オフィシャルページ:http://www.chikubushima.jp/

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いざ和歌山へ その拾壱(西国一番札所 那智山 青岸渡寺)

お腹いっぱいで向かった西国一番札所 那智山 青岸渡寺、那智大滝の少し上にあるんですね。

那智山 青岸渡寺

ツアーで来てる団体さんが居たんで、お参りして御朱印を頂きに並びました。こちらでも例のモノをGetして境内を散策。

那智山 青岸渡寺と那智の大滝

三重塔の先に那智大滝が見えてます。青岸渡寺は駐車料金を払えば本堂脇まで昇れるんでラクチンですわ。続いて那智大社へ向かいましょ。

『補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬』

つづく・・・

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西国七番札所 東光山 岡寺 (龍蓋寺)

日曜日はエエ天気だったんでお出かけ。洗車して調子の悪いNaviを復活させるために色々手立てを講じましたが、復活する兆しも無く撃沈・・・ Naviユニットを交換するも読み込まず、相方のラパンで出撃。久しぶりに西国三十三箇所巡礼しようと、目的地は西国七番札所 東光山 岡寺 (龍蓋寺)へ。昼過ぎに到着予定なんで途中で昼飯喰ってから行こうと思いましたが、ノーリサーチだったんで目的地に着いちまいました 駐車場に車を停めて、喰いモン屋を探しましたが何もありません・・・ 仕方が無いので参拝してからと本堂を目指しました。

仁王門②

入山料を納めて立派な仁王門を潜ります。しかし暑すぎますやん・・・ 参道手前の自動販売機でミネラルウォーター買っといて正解やった。階段を登っていくと左手に開山堂。

開山堂

右手には鐘楼。この鐘楼、厄除けで参拝者が自由に突けます。

鐘楼

巡礼の団体さんが本堂で御朱印を頂くのに並び始めてたんで、相方を置き去りにして境内を進みます。

本堂①

本堂脇には龍蓋池

龍蓋池②

龍蓋池はこの地を荒らし農民を苦しめていた龍を義淵僧正がその法力をもって封じ込めたことからその名が付いたといわれているとか。奥の院を目指して進むと、右手に十三重石塔があります。

十三重石塔④

鳥居を潜って先へ進むと、右手にるり井。千年以上絶える事の無い湧き水で、厄除けの清水らしい。

るり井①

更に進むと稲荷社に突き当たる。

稲荷社①

稲荷社の右手にある奥之院石窟には弥勒菩薩が祀られている。

奥之院石窟

中に入ってみると奥に蝋燭に照らされた趣きのある石仏。来た道とは違った道を通り、三重塔へ。

三重塔③

ここから鐘楼へ向かって一旦下ります。厄除けのために力一杯鐘を突き。太子堂へ。

大師堂

太子堂から下る道で↓↓↓

本堂と開山堂②

開山堂と本堂を収めて昼飯喰いに向かいました。

本堂と開山堂⑤

『けさ見れば つゆ岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり』

オフィシャルページ:http://www4.kcn.ne.jp/~balance/

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西国二十一番札所 菩提山 穴太寺

蕎食 きむらで昼ご飯をいただいて、近くなんで西国二十一番札所 菩提山 穴太寺へ立ち寄りました。

仁王門

宝徳2年(1450年)成立の『穴太寺観音縁起』によれば、慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされる。穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、平安時代末期には観音霊場として当寺が知られていたことがわかる。『今昔物語集』所収の説話によると、昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男は、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、仏師には褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた。しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て殺してしまった。ところが、後で確認すると仏師は健在で、観音像の胸に矢が刺さっていた。改心した男は仏道を信じるようになったという。同様の説話は『扶桑略記』にもあるが、ここでは男の名が「宇治宮成」、仏師の名が「感世」とされている。

仁王門から臨む本堂

さすがに寒くて境内は閑散として誰も居ませんでした。手水鉢でお清めをしますが、凍ってますやん 

手水鉢と鐘楼
本堂

本堂でお参りし、納経所で相方がご朱印いただいてると、白装束の3人組がいらっしゃいました。そんなに広く無い境内ですが、多宝塔や念仏堂、本堂左には庭園が綺麗な円応院がありますが、残念ながら公開されてませんでした。

多宝塔

『かかる世に生まれあう身のあな憂(う)やと思わで頼め十声(とこえ)一声』

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西国二十四番札所 紫雲山 中山寺

暫く滞ってたんで、久々に西国三十三箇所巡礼へ出かけました。近場でってなると、京都は殆ど廻ったので宝塚にある紫雲山 中山寺を目指し高速を飛ばします。3連休の最終日の割りに渋滞も無く、アッサリ到着しました。

中山寺1

立派な山門です。聖徳太子の創建によるとつたえられる、わが国最初の観音霊場とか。代々皇室の崇信もあつく、安産祈願本邦随一の霊場として、源頼朝をはじめ武家・庶民にも深く信仰されていました。ことに、豊臣秀吉は当山に祈願して秀頼を授かり、秀吉亡き後、秀頼は片桐且元に命じ、伽藍再建。これが現在の伽藍です。ことに幕末には、中山一位局を当山の鐘の緒をうけ明治天皇を御平産されてより、明治天皇勅願所として霊徳を高め、「安産の寺」としても名高く、安産を祈る人々が全国から腹帯を授かりにまいられます。

先ずは参道から本堂を目指します。本堂手前の手水鉢でお清めして本堂へお参りに行きます。

中山寺6

お賽銭を投じてお参りしました。さすが安産祈願/子授祈願のお寺として有名なだけに、小さな子供連れのお参りが目に付きますね。御朱印は本堂より下にある納経所でいただけるようなので、境内を散策してから行くことに。

中山寺7

本堂横の護摩堂

中山寺8

護摩堂の上にある大師堂

中山寺9

下から臨む鮮やかな朱塗りの大願塔

奥の院へは50分くらいかかるようでアッサりとPASSして、納経所でご朱印をいただきました。参道を下ると何やら気になる看板が・・・ 

観音院

「辰巳年守本尊」とあったので、勝手に辰年と巳年の関連だと理解してお参りしました。帰って調べてみると、観音院に奉られる普賢菩薩は、辰年と巳年の守本尊と言うことで間違いでは有りませんでした。

『野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へまいるは のちの世のため』

オフィシャルページ:http://nakayamadera.or.jp/index.html

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西国二十九番札所 青葉山 松尾寺

腹ごしらえも済ませたんでお参りに向かいましょ。

2

山門からアプローチしますが、左右一対の仁王様が写真だったのには笑いましたが・・・ 山門を過ぎると本堂へ続く急な階段が この暑い中、少しの階段でも汗だくになります 

参道

登りきって手水鉢で手と口を清めます。付近には弘法大師像が鎮座したはります。

3
弘法大師像

本堂左側には馬の像が。ご本尊の馬頭観世音菩薩像縁のものでしょうか?競馬関係者の参拝も多いとか。

馬
本堂

本堂をお参りしてご朱印をいただきに、山門横の納経所へ。入山料は無料ですが、駐車料金はここで徴収されます。さて、時間も早いんでどこか観光スポットへでも向かいましょ。

そのかみは 幾世経ぬらん 便りをば 千歳もここに まつのおでら

オフィシャルページ:http://www.matsunoodera.com/

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西国十二番札所 岩間山 正法寺(岩間寺)

しばらく滞ってた西国三十三箇所巡礼を再開しましょう。訪れたのは西国十二番札所 岩間山 正法寺(岩間寺) 滋賀県の石山寺近くにあるお寺です。駐車場へ車停めて、先ずは一服。さて、お参りに向かいましょ。入山料をを入口で支払い境内に進みます。そう言えば仁王門がが有りません。少し下ると白姫竜神が左手に見えます。なんでも、女性が崇めると美人になるという謂れが。男性の場合はどうなるんでしょうね・・・

白姫龍神

右へ曲がると露天の仁王像がお出迎え。仁王門の代わりなんでしょうが、建造は新しいようです。

仁王像

少し下って、緩やかに登ると左手に太師堂。

大師堂

太師堂を抜け、正面には右に不動堂、左に本堂があり、間には松雄芭蕉ゆかりの芭蕉の池があります。

本堂3
不動堂
芭蕉の池3

「古池や蛙飛びこむ水の音」をこの池で芭蕉が詠んだとされる。さて、本堂をお参りしてから散策しましょう。

ぼけ封じ十楽観音

帰り道に予防のため、ぼけ封じ十楽観音をお参りしたのは言うまでも有りません

『水上は いづくなるらん 岩間寺 岸打つ波は 松風の音』

岩間山 正法寺
オフィシャルページ:http://www.iwama-dera.or.jp/

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西国五番札所 紫雲山 葛井寺(藤井寺)

フレンドリーなハルワ食堂を後にし、本日本命の西国五番札所 紫雲山 葛井寺へ商店街側の四脚門から入山します。

葛井寺四脚門
辛国神社手水鉢

手水鉢で手と口を清めて本堂へ向かいます。

葛井寺境内

毎度の事ながら、御朱印をいただいて境内を散策しました。藤棚があちらこちらに設えているので、シーズンはとても綺麗なんでしょうね。結構広めの境内ですが、立派な南大門が聳えてますね。

葛井寺南大門2

恐らく全盛期には広大な敷地を有する大寺院だった風格が見られます。

寺伝では神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願で行基が創建し、古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされ、平安時代になって平城天皇の皇子・阿保親王が再興したとされている。近世の地誌類や再興勧進帳でも以上の寺伝を踏襲しているが、実際は百済王族の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)の氏寺として、8世紀中頃に創建されたと推定される。

参るより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲

オフィシャルページ:http://www.geocities.jp/saikoku33_5/


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西国十五番札所 新那智山 観音寺(今熊野観音寺)

15時からJTBへ予約を入れているので、久しぶりに札所巡りをと西国十五番札所 新那智山 観音寺へ。アプローチが狭そうなんで相方のラパンで向かいます。ぜんぜん狭い道やないやん 参道を登りきったところに無料駐車場が。結構な車の量が停まってます。

鳥居橋S

本来なら二つの灯篭のあるところからこの鳥居橋を抜けた所に参拝者用の駐車場があります。ちょっと判りにくいですがね。

門S


思ったより地味な山門!?を抜けて境内を目指します。

子護弘法大師S


お題目を唱えながら2周廻ると御利益あるという子護弘法大師。手水鉢で手と口を清めて本堂へ向かいます。

本堂2
本堂3

お賽銭を準備してると何食わぬ顔で横へ並ぶ奴が・・・ そういえば今朝、小銭をミーの貯金箱へ入れてたよな、またもや便乗ですか お参りの後、お約束の御朱印をいただき、境内を散策します。

藤棚

本堂横の藤棚は綺麗ですが、やたらと蜂が飛び回ってて危険です 藤棚の隣には「同期の櫻」という植樹がありました。

同期の櫻


立て札を読みますと戦没者の慰霊を目的としたもののようです。

鐘楼
稲荷社と熊野権現社

新緑がとても綺麗ですね。帰りに五智水をいただいて帰ろうと思いましたが、蛇口がねぇ・・・

五智水

弘仁年間(825年頃)に弘法大師が熊野権現の化身から観音霊地の霊示を受け、嵯峨天皇の勅願により観音像を刻んで本尊とし草堂に安置したのが創始といわれている。

後白河法皇は本尊を深く信仰し、霊験により持病の頭痛が平癒したので、本寺に「新那智山・今熊野」の名称を与えられ、以来、頭痛、中風、厄除けの観音として繁栄してきたという。文暦元年(1234年)に後白河上皇を当寺に葬るなど、歴代朝廷の崇敬をあつめている。

現在、観音寺は泉涌寺の塔頭であるが、応仁の乱以前は泉涌寺をしのぐ大寺だったという。

昔より 立つとも知らぬ 今熊野 ほとけの誓い あらたなりけり

さて、ランチ喰いに行きましょう


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西国九番札所 興福寺 南円堂

さて、お腹もいっぱいになったんで、ちょっと薄暗く曇ってますが、天気予報を信じて目的地へ向かいましょう。

南円堂 石碑

結構な人出ですね、海外からいらっしゃってる方も多いですね。早速階段を登って左側の三重塔へ。櫻は結構散ってますが、まだまだ綺麗に咲いてます。

興福寺 三重塔5

さて南円堂へ向かいましょ。手水鉢で手と口を清めてお参りしました。

南円堂17
南円堂23

南円堂(重文)は弘仁4年(813年)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した八角堂。現在の建物は寛政元年(1789年)の再建である。創建時の本尊は、もと興福寺講堂に安置されていた不空羂索観音像であった。この像は天平18年(748年)、その前年に没した藤原房前の追善のため、夫人の牟漏女王、子息の藤原真楯らが造立したものであったという。

『春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲』

相方が御朱印いただいた後、折角なんで興福寺境内を散策しましょう。境内改修中のところが多いのが残念ですが。

興福寺 五重塔と東金堂3

五重塔と東金堂。

興福寺 五重塔11

五重塔近影。

興福寺 五重塔12

五重塔、櫻とともに。

南円堂24

折角なんで鹿と南円堂。何故かずっと舐め合ってました・・・ 口に美味しいもんでも付いてたんでしょうかね

興福寺

時間も早いんで周辺を散策しましょうかね。

旧大乗院庭園2

旧大乗院庭園。奈良ホテル内からの画像です。実は入園口を見落としたためにここからの撮影です しかしこのホテル、すごく重厚な和風建築の玄関でしたね。思わず入ることを躊躇ってしましましたわ

興福寺 五重塔10

駐車場へ戻る際の荒池から望む興福寺五重塔。さて、お土産買って帰路につきましょう。何買ったって?? 「SAKURA BURGER」さんのメニューで見た地ビール探したんですが見つけられず、同じく「SAKURA BURGER」さんのメニューに載ってた「鹿サイダー」を買って帰りました。

鹿サイダー1

旨いか不味いかは、風呂上りに報告しましょう なんでって?? メニューに入ってたチラシに書いてましたから・・・

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