フレンドリーなハルワ食堂を後にし、本日本命の西国五番札所 紫雲山 葛井寺へ商店街側の四脚門から入山します。


手水鉢で手と口を清めて本堂へ向かいます。

毎度の事ながら、御朱印をいただいて境内を散策しました。藤棚があちらこちらに設えているので、シーズンはとても綺麗なんでしょうね。結構広めの境内ですが、立派な南大門が聳えてますね。

恐らく全盛期には広大な敷地を有する大寺院だった風格が見られます。
寺伝では神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願で行基が創建し、古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされ、平安時代になって平城天皇の皇子・阿保親王が再興したとされている。近世の地誌類や再興勧進帳でも以上の寺伝を踏襲しているが、実際は百済王族の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)の氏寺として、8世紀中頃に創建されたと推定される。
『参るより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲』
オフィシャルページ:http://www.geocities.jp/saikoku33_5/
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恐らく全盛期には広大な敷地を有する大寺院だった風格が見られます。
寺伝では神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願で行基が創建し、古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされ、平安時代になって平城天皇の皇子・阿保親王が再興したとされている。近世の地誌類や再興勧進帳でも以上の寺伝を踏襲しているが、実際は百済王族の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)の氏寺として、8世紀中頃に創建されたと推定される。
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