満腹の腹を抱えて円山公園駐車場へ。東山通りを徒歩で15分ほどで、今日の目的地補陀洛山 六波羅蜜寺へ到着。

六波羅蜜寺正面

本堂正面の入口は閉鎖されてます。

六波羅蜜寺案内

六波羅蜜時

天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所。
当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)
現存する空也上人の祈願文によると、応和3年8月(963)諸方の名僧600名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯じ大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。これが当寺の起こりである。
上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。
源平両氏の興亡、北条・足利と続く時代の兵火の中心ともなった当寺はその変遷も甚だしいが、源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ火災に遭うたびに修復され、豊臣秀吉もまた大仏建立の際、本堂を補修し現在の向拝を附設、寺領70石を安堵した。徳川代々将軍も朱印を加えられた。
現本堂は貞治2年(1363)の修営であり、明治以降荒廃していたが、昭和44年(1969)開創1,000年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と当時の姿をしのばせている。

本堂をお参りし、御朱印を戴くために列へ。2列になっていたので右側に並んだのですが、どうも様子が違うので左側へ並び直しました。なにやらこの列も様子が違う。最前列の方が御朱印を戴いても次の方が窓口まで進まないのです。まさか・・・そうなんです、立ち止まってる一団の後ろに並んでいたのです
そそくさと窓口へ向かい、無事の御朱印を戴きました。その後、境内を散策してみました。
六波羅蜜寺本堂
六波羅蜜寺本堂②
六波羅蜜寺 一願石

ひとつの願い事を、祈りを込めながら金文字から手前に3回まわすと、願い事をかなえてくれる一願石という不思議な石があります。早速回して見ましたが、相方が途中で止めて自分で回し始めてしまったので、私の願いは叶わないでしょう・・・・ そう言えば、本堂のお参りの際も、ご縁がありますようにと5円玉をお賽銭にしたのですが、奴は便乗してましたね。

さて、次の目的地へ向かいましょう

重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば

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