蕎食 きむらで昼ご飯をいただいて、近くなんで西国二十一番札所 菩提山 穴太寺へ立ち寄りました。

仁王門

宝徳2年(1450年)成立の『穴太寺観音縁起』によれば、慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされる。穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、平安時代末期には観音霊場として当寺が知られていたことがわかる。『今昔物語集』所収の説話によると、昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男は、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、仏師には褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた。しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て殺してしまった。ところが、後で確認すると仏師は健在で、観音像の胸に矢が刺さっていた。改心した男は仏道を信じるようになったという。同様の説話は『扶桑略記』にもあるが、ここでは男の名が「宇治宮成」、仏師の名が「感世」とされている。

仁王門から臨む本堂

さすがに寒くて境内は閑散として誰も居ませんでした。手水鉢でお清めをしますが、凍ってますやん 

手水鉢と鐘楼
本堂

本堂でお参りし、納経所で相方がご朱印いただいてると、白装束の3人組がいらっしゃいました。そんなに広く無い境内ですが、多宝塔や念仏堂、本堂左には庭園が綺麗な円応院がありますが、残念ながら公開されてませんでした。

多宝塔

『かかる世に生まれあう身のあな憂(う)やと思わで頼め十声(とこえ)一声』

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