巷は2月も最終日ですが、まだまだ続く記事は17日ですが・・・
もうしばらくお付き合いくださいませ・・・
18番には1946/07/31新製のC59 164、大阪局配属梅小路配置。


1950/08/10糸崎区へ転出、1957/01に広島工場でボイラーを川崎車輌製の新缶に交換。1971/08/11には第一種休車指定のまま奈良運転所へ。自治体に貸渡予定だったが立ち消えとなり、急遽C591の代わりに梅小路区で動態保存機が決まる。1972/09/30に梅小路へ転出し、動態保存開始。1979/03/28に廃車され、備品(無火)として梅小路蒸気機関車館にて静態保存。形式最終廃車機で、走行距離は2,002,879km。
19番には1928/11/02新製のC53 45、大阪局配属で1930/08/31より梅小路区配置。アメリカから輸入したC52形を解析の上、国産化した唯一の3シリンダー型の釜。


1938/03/31に姫路区へ転出し、1938/06/15に山陽本線熊山-和気間で脱線した下関発京都行き客110レへ激突脱線事故に遭う。宮原区・名古屋管内を経て1944/09/08に梅小路区へ、5ヶ月後にまたもや事故に遭遇することに・・・ 山陽本線上郡-三石間にて客233レで停止中に、後続の貨345レが乗務員の居眠りでD52+貨車56両が追突。1950/07/01には第一種休車中廃車予定(第二種休車相当)となり、1950/07/13に廃車。国鉄吹田教習所にて教習用車輌として保管された後、1961/06/15に自走可能な復元工事開始。1961/09/20~21に復元整備記念列車運往復運転実施されるも廃車、1962/01/21より交通科学館で展示、1972/10/10より梅小路蒸気機関車館で静態保存。大きな事故に2度も遭いながら、解体されず90年間生き残ったのはナンか持ってるんでしょうね・・・
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19番には1928/11/02新製のC53 45、大阪局配属で1930/08/31より梅小路区配置。アメリカから輸入したC52形を解析の上、国産化した唯一の3シリンダー型の釜。


1938/03/31に姫路区へ転出し、1938/06/15に山陽本線熊山-和気間で脱線した下関発京都行き客110レへ激突脱線事故に遭う。宮原区・名古屋管内を経て1944/09/08に梅小路区へ、5ヶ月後にまたもや事故に遭遇することに・・・ 山陽本線上郡-三石間にて客233レで停止中に、後続の貨345レが乗務員の居眠りでD52+貨車56両が追突。1950/07/01には第一種休車中廃車予定(第二種休車相当)となり、1950/07/13に廃車。国鉄吹田教習所にて教習用車輌として保管された後、1961/06/15に自走可能な復元工事開始。1961/09/20~21に復元整備記念列車運往復運転実施されるも廃車、1962/01/21より交通科学館で展示、1972/10/10より梅小路蒸気機関車館で静態保存。大きな事故に2度も遭いながら、解体されず90年間生き残ったのはナンか持ってるんでしょうね・・・
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